「ライトノベルを読むメリット」についての回答について

最近、こんな質問があったらしい
ライトノベル愛読者が理解できない -近年、ライトノベルが市民権を得て- 文学・小説 | 教えて!goo
さて、この質問が確かに挑発的に見えるのは確かだし、質問者に悪意があったのかどうかも、僕には判断できない。まあ、ただ、ここでは別に質問者は問題ではない。このような質問がされたことは今回初めてじゃないだろうし。だけれどそれ以上に僕がちょっとどうかと思ったのはその回答についてだ。
「面白ければそれでいいじゃん」
おそらく、回答者の多くの人の意見はここに集約される。もちろん、それは究極的な答えだと思うし、そういうスタンスを否定する気は全く無い。
けれど。
その言葉は、その面白さがわからない人にはわからなくていい、というニュアンスを含んではいないだろうか? 僕は、(思い違いかもしれないけれど)回答者の多くから、そんな印象を受けた。そして、「それはちょっと寂しくないか?」 と思ったのだ。
確かに、ライトノベルに限らず、一般にフィクションはおそらくは「面白いから」という理由で受け入れられているだろう。しかし、ではそれが「どう面白いのか」を説明することは出来ないのだろうか?いや、できる。
そもそも、僕たちがフィクションを読んで、あるいは見て、そこで得た「面白い」(これは「カッコイイ」「泣けた」「萌えた」その他もろもろに置換可能)という感情は、そこから「何か」を得たから感じたものではないのだろうか(ちょっと言い過ぎかもしれないけれど)?
それを説明できれば(そして、ライトノベルのレビューブログを書いている人たちはその説明ができていると思う)、その「面白さ」は共有可能だと思うし、その「何か」はメリットに十分になりうると思うのだが、どうだろう?

う〜ん、文章が上手くない上に言葉が足らない。けれど、言いたいことは、もうちょっと外を受け入れてもいいんじゃないかなぁということ。やっぱり、自分が好きなものが人に受け入れられないのは辛い。それを受け入れてもらうためにはまず相手の価値観を受け入れた上で、ちゃんと自分の言葉で自分がそれがどんな理由で好きであるのかをちゃんと言う必要がある。それは多分きっと凄く難しいし、僕に出来る自信は無いけれど、多分やらなくちゃいけないことなんじゃないか。そんな事を思いました。