2008下半期ラノサイ杯投票

というわけで、2008年下半期ライトノベルサイト杯に投票します。
こういうとき読書メーターがあると便利。

新規部門

ファミリーポートレイト

ファミリーポートレイト

桜庭一樹の現時点での最高傑作。叩きのめされました。もし、「砂糖菓子の弾丸は撃ちぬけない」に心を動かされた経験があれば、是非とも読んで欲しいです。川上稔の新作。最初からアツいです。これから始まる大きな物語の序章が力強い文章と壮大なスケールで描かれています。個人的にこれから一番楽しみなシリーズ。
AURA ~魔竜院光牙最後の闘い~ (ガガガ文庫)

AURA ~魔竜院光牙最後の闘い~ (ガガガ文庫)

ネットでも色々と話題になりましたね。仲間内で色々とこの小説を巡る議論が出来て、そういう意味でかなり徹底的に楽しめた作品でした。ちなみに「大学読書人大賞」という企画でもノミネートされています。詳しくはこちら→「大学読書人大賞」―候補作品
銀色ふわり (電撃文庫)

銀色ふわり (電撃文庫)

僕の中では有沢まみずは『いぬかみっ!』のイメージしかなかったので、イメージのギャップに驚きました。とても良質なゲームシナリオのイメージ。
ハーモニー (ハヤカワSFシリーズ Jコレクション)

ハーモニー (ハヤカワSFシリーズ Jコレクション)

管理社会についての小説。ユートピアの想像力を否定する、という話はよくありますが、この小説はその先まで突き詰めている。とても面白かった。

既存部門

やはり、最高の完結を迎えたこの作品に一票。もう一度、読み直してみたくなります。
さよならピアノソナタ〈4〉 (電撃文庫)

さよならピアノソナタ〈4〉 (電撃文庫)

杉井光が大好きになった、青春小説の傑作。音楽と青春の最高の競演がここにあります。
とらドラ!〈9〉 (電撃文庫)

とらドラ!〈9〉 (電撃文庫)

多分、今まで読んできた小説の中で一番「高校生」が描けている作品。嫌応無しに引き込まれます。次で最終巻のようですが果たしてどうなるのやら。
ANGEL+DIVE (3) .LOVENDER (一迅社文庫)

ANGEL+DIVE (3) .LOVENDER (一迅社文庫)

救いの無いカタルシスを味合わされた作品。まさかこう化けるとは思わなかった。

以上、九作品を投票します。以下、投票コード

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『電波女と青春男』著:入間人間

良い青春小説でした。これまでの入間作品と比べて表面上黒かったり痛かったりするところがあんまり見えて来ない。予想外に読後感はさわやか。リュウシさんかわいい。

ただ、見えてくるテーマの一部は結構痛い。なし崩し的に「電波な女の子」と関ってしまう話というのは今、結構あると思う。だけれどそういう物語がある意味ジャンルコードとして存在しているのは、読者がそういう関係を望んでいるから、という見方も出来る、かもしれない。
「何でそんな変な女の子がヒロインになりうるの?」「現実にそんな子がいたらどうなの?」といった問いにどう答えるか。いろいろ理由は付けられるかもしれないけれど「でも、結局外見でしょ?」という言葉に頷かざるを得ないときに感じる悔しさはあると思う。
だから、その問いかけが小説中にあることはこの小説で一番面白かったところだ。主人公もその問いには頷く。その上で「青春男」は「電波女」を何とかしようとするのだけれど、その動機は「結局、外見でしょ?」を上書きできている……かどうかはわからないけれど、良い所突くなぁと思った。

電波女と青春男 (電撃文庫)

電波女と青春男 (電撃文庫)

明けましておめでとうございます

遅ばせながら。
2008年は個人的には本当にいろいろなことがあってとても充実した年でした。
特に、サークル活動ではライトノベル同人誌『ソフラマ!』を発行して文学フリマで初の即売会に参加したり、筑波批評社の方では間接的にゼロアカ道場に参加したりして、この一年で見える世界がとても広がった気がします。また、このような活動を通していろいろな方とお知り合いになれたことも僕にとってはとても大きなことでした。その分、色々な方にお世話になり、迷惑をかけてしまったと思います。本当にありがとうございました。
さて、本当に気が向かないと書かない不定期更新のこのブログですが、今年もまったりと続けていきたいと思います(だけど少しは更新が増えると良いなぁ)。
それでは、今年もよろしくお願いします。
新年の挨拶代わりとして個人的に2009年楽しみなシリーズを何作か紹介しておきます。

近未来のリアルフィクション。特に、スプライトシュピーゲル第四巻は個人的に2008年今年もっとも衝撃を受けた作品だと思います。ここに来て圧倒的な世界観・人間観を叩きつけてきたこの作品がどのように終結するのか楽しみでなりません。川上稔氏の新シリーズ。第一巻から前作『終わりのクロニクル』を超えんとするボリュームと迫力で魅せてきた作品。相変わらずの設定の多さ、言葉の強さ、そして今回は戦記物としてのスケールの大きさを感じさせる第一巻でした。完結まで何年でもつきあいます。
とらドラ!〈9〉 (電撃文庫)

とらドラ!〈9〉 (電撃文庫)

完結目前ですね。アニメも盛り上がっているみたいですね。この作品で描かれる描写は、おそらく他では真似が絶対できない形で「高校生」の心理をえぐり出します。おそらく次で最終刊だと思うのですが、彼らの青春にどう決着がつくのか楽しみに待ちたいと思います。
神様のメモ帳〈3〉 (電撃文庫)

神様のメモ帳〈3〉 (電撃文庫)

杉井光という作家を今年発見できたのは僕にとって一番の収穫だったかもしれません。彼の小説を作る上手さ、センスのスマートさは読んでいうだけで心地よい。『さよならピアノソナタ』のようなカタルシスは望めないかもしれませんが、ある意味杉井光のセンスが一番光っているのはこの『神様のメモ帳』だと思っているので、是非続きが読みたいですね。
ANGEL+DIVE (3) .LOVENDER (一迅社文庫)

ANGEL+DIVE (3) .LOVENDER (一迅社文庫)

まだ三巻を読んでいないのですが、ネットでの評価を見るにやはり化けた模様ですね。第一巻はあまりの物語の遅さにイライラしてしまったのですが物語としての可能性は少なくとも一迅社文庫の作品の中ではずば抜けていると思います。これから第三巻を読みたいと思うのですが、どのように物語が広がっていくのかとても楽しみです。

まあ、この辺で。

ファミリー・ポートレイト 著:桜庭一樹

直木賞受賞後初の書き下ろし長編小説。「家族」と、そして「小説家」の物語。
ひょっとすると、後々、「家族三部作」みたいな形で呼ばれるのかもしれない、なんて妄想をしてみたくなる。『赤朽葉家の伝説』で桜庭一樹の作中にくっきりと現れた「家族」というテーマを、『私の男』を踏まえて、この作品でさらに昇華させた印象を受けた(正直、僕は『私の男』に対して少々懐疑的(本当にこれを書きたかったのか)だったのだけれど、僕のとても失礼な邪推だったと言うことがわかった)。また、今作を読んでこの「家族」というテーマが「砂糖菓子の弾丸」からずっとあったのだなぁと改めて気づかされた。僕は桜庭一樹の書く「少女」の姿にとても注目していたのだけれど、ここに来て作中で描かれる「家族」に圧倒された。「少女」と「家族」はずっと結びついてはいたのだけれど、ここに来て、僕には「少女」に隠れてあまり見えてこなかった「家族」というテーマが大迫力で目の前に現れたのだ。さらには桜庭一樹自身の小説観、というものがそこに入り込んできて凄みがさらに増してきてもう「やばい」と思った。久々にいい読書体験をしたと思わせてくれる作品だった。
なんというか、桜庭一樹の「倫理観」(という言葉は多分正しくないのだけれど)が特に全面に押し出された小説だったと思う。そして、桜庭一樹の小説を僕が好きな理由はその「倫理観」を惜しげもなく出し切る点にあるんだろうな、と思った。世間ではタブーとされているような領域に足を踏み込んでそれをさらけ出す。そこに暴力的に説得され、さらには惹かれてしまう恐さが桜庭一樹の小説にはあると思う。だけれど、読者である僕は、決してその領域に足を踏み入れることはなく、おそらく一般的な良識というもので蓋をして見なかったことにしてしまうのだろうな、と思い、どこか寂しさを感じてしまう。
とりあえず、桜庭一樹のこれまでの作品の中で最高傑作であることは間違いないと思う。果たしてこれ以上何か書けるんだろうか、と思うくらいに。

ファミリーポートレイト

ファミリーポートレイト

デカルトの密室 著:瀬名秀明

最近、認知科学がマイブームな感じになっていることもあり、いいタイミングで読めた小説だと思う。
この小説は、ロボットについての話であり、そして同時に人間についての話でもある。ロボットが自我をもつとはどういうことか、ということを考え始めると必然的に自我とは何か、〈私〉とは何か、ということについて考えなければならない。
哲学的な問題を科学のスケールで扱う、ということに個人的にはかなり興味をそそるものがある。それは、多分フィクション的な想像力を現実のスケールに持っていこうとするときに考えなくちゃいけない問題だからなんだと思う。この小説が持つ、現実と空想をリアリティを持って交差させるような意志は、自分が所属している学科に近いところもあって、とてもワクワクする。瀬名秀明を読んだのは今回が初めてなのだけれど、ほかの作品も是非読みたくなった。
アニメ脚本家の櫻井圭記は文庫版の解説でこう書いている。

瀬名秀明という人物は、このサイエンスとフィクションのはざまを、すさまじく鋭敏な感覚で、最もダイナミックに歩んでいる思う」

サイエンスとフィクションは現実と空想に置き換えられ、SFという言葉がサイエンス・フィクションの略だとすれば、瀬名秀明はまさにど真ん中のSF――つまり現実と空想を扱う物語の――作家なんじゃないだろうか、とか思ったりもした。

デカルトの密室 (新潮文庫)

デカルトの密室 (新潮文庫)

COMITIAに参加します!

さて、直前となってしまいましたが、所属サークルあまるふぉすが、11月16日に開催されるCOMITIAに参加することをお知らせします。スペースNoは「ま03a」です。こちらの公式ブログでも告知しておりますが、今回、『ソフラマ!』の最新号(02号)を新刊として持って行きたいと思います(バックナンバーも販売します)。
今回は「一迅社文庫全レビュー(5月から10月発行分まで)」と、「田中ロミオ『AURA』座談会」の二本の特集を組んでみました。値段は100円。コピー本で100ページという、前号、前々号に引き続きあまり見栄えのよろしくない冊子となってしまいましたが、よろしくお願いします。
あと、今回の文学フリマゼロアカ道場の道場破りとして販売した『筑波批評』も五部ほど持って行きます。もし、当日買えなかった方でコミティアに足を運ばれる方がいらっしゃれば、こちらもよろしくお願いします。

境界線上のホライゾン1上下 著:川上稔

日本と世界の国々がリンクした上で歴史をやり直している世界で、終末から世界を救うため、そして一人の少女を助けるためにみんなが頑張る話。
相変わらず、凄い。下巻は700P以上あったのだけれど一日で読めてしまった。描写の迫力、台詞回しの上手さなどは前作『終わりのクロニクル』をしっかり踏まえたうえで洗練され、飽きさせない展開とスピード感は本の厚さを感じさせない。今回もやはり圧倒されてしまった。
『都市シリーズ』『終わりのクロニクル』ときて、三シリーズ目の今作だが、シリーズを重ねるごとに、物語のスケールが大きくなって来ているのかなぁと読んでいて思った。『都市シリーズ』ではあくまでその都市という小さな世界における状況に対し、個人、特に主人公がどう動くか、ということに対して焦点が当てられていた。それが、『終わりのクロニクル』では話のスケールが小さな世界が集まった大きな世界における状況となったが、それでも話の焦点はあくまでその状況のために「個人」がどう動くか、だった。しかし、今作『境界線上のホライゾン』では物語のスケールは『終わりのクロニクル』と同様、大きな世界の状況(とはいえ『終わりのクロニクル』は別の概念を持っている本当の意味での「別世界」同士が集まった上での大きな世界だったことに対し、『境界線上のホライゾン』ではあくまで基盤となる世界は一つだけのため、その点ではスケールは少々小さくなっているといえるかもしれない)がテーマだが、今回は個人ではなく、一つの国が主体となって物語が動いているように思うのだ。それは、『終わりのクロニクル』の主人公佐山・御言が「悪役」を名乗っていたことに対し、今作の主人公葵・トーリが「王」を目指すと明言していることからも伺える。モチーフにしている時代が戦国時代、ということもあるかもしれないが、今作では架空戦記的な要素がかなり強く感じられた。トーリという王と、ホライゾン(ヒロイン)という姫を中心に、宰相、騎士、武将、などの役回りの人々が最初から揃っている、というまさに一つの国を象徴する構図はこれまでの作品には見られなかったものだ。
だから、今回はある意味では非常に分かりやすい話だ。『終わりのクロニクル』では常に佐山は自分が間違っている、ということを意識していて、「正しい」「間違っている」ということが一つのテーマだったのだが、今回はそのような葛藤は無い。「勝ったらそいつが世界を救う、だからそいつが王様だ」と第一巻においてはっきりとトーリは宣言してしまっている。そこにあるのは「強いものが正義」という戦争の論理である。国対国の争いがテーマであるならば確かにこのくらい分かりやすくならざるを得ないだろう。
終わりのクロニクル』のような自意識の問題があらかじめ解決されてしまっている(ように見える)のは個人的には少々物足りないのだが、しかしながら『終わりのクロニクル』でそのテーマは解決したのだからそれは今回は問われるべきものではないのかもしれない。
まあ、どちらにしろ、また壮大で心躍る物語が始まったことに変わりはない。今度はどのような世界を見せてくれるのか、非常に楽しみだ。